2011年 本年を振り返り 大晦日

一年と言う月日が、歳を取る度に、年々早くなっていくように感じます

あっという間の一年でしたが、今年は強く記憶に残る年になるように思います

 

東日本を中心に3月11日、予期せぬ大震災が起こりました

震災の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げるとと共に、心を痛めていらしゃる方々に心よりお見舞い申し上げます

 

東京にいた自分でさえも、今までにない揺れを経験し生まれて初めて建物から出て避難しようと思うぐらいの恐怖を感じました

 

家族の安否を確認するにも電話は繋がらず、帰宅途中には銭湯の煙突が倒壊していたり、あちらこちらに緊急車両を見かけました

幸い家族に被害はなく安堵したものの、テレビに映し出された津波の映像は信じがたいものでした

 

妻の実家は、福島県いわき市にあり福島県では浜通りと呼ばれる所になります

幸い海からは離れている高台のため、津波の被害はありませんでしたが、その後原子力発電所に異常が発生し、ほどなく3家族4世代東京へ避難することになりました

 

当時、戸建てのシェアハウスを運営していたので、そこを空にしてしばらく避難生活をして頂きました

その避難時、マイクロバスを借りるためにいろんなレンタカー屋さんに連絡しましたが中々空きが無く、同じように避難される方が多いんだと思いました

 

いろいろな方々から情報を頂き、ようやくマイクロバスを用意することができ、人のつながりに感謝致します

 

通常いわき市に向かうには、常磐道を利用するのですが、崩落のため、水戸から不通との事でした

しかし、予備の燃料を用意する事が容器が無いため出来ず、回り道をする余裕はなっかたので、常磐道を選択しました

 

幸い緊急車両と言う事で、検問を通過させてもらい常磐道でいわきまで到着できました

到着したいわき市は、東京で物が無いと騒いでる比ではなく、店自体営業しておらず、ガソリンスタンド近くの道路には、無人の車が無造作に数多く放置してありました

 

物流が機能していない実態を目の当たりにして、自給自足をしていない数多くの一般的な生活スタイルは、生命線が細いと痛感し、恐怖のような何とも言えない感じがしました

 

東京もしばらく物不足になり、便利なコンビニにすら物が不足し、平時の当たり前が当たり前に保てなくなった時に、色々な方々に支えられ平穏な日常があるのだと改めて気付かされました

 

お金があれば何でも手に入るという方がいらっしゃいますが、お金があっても手に入らない現実を多くの方が経験したように思います

 

今回の事で、お金は権利として使うのではなく、感謝の気持ちを持って使うべきだと感じました

いま、物を買ったり、サービスを受けたりするときに、「ありがとうございます」というように心掛けています

 

お金だけでなく、人や物事に対して、感謝する気持ちを発信源にして、考え行動するようにしています

感謝を基準に考えて行動できた時には、数倍の感謝の風が帰ってくるように感じます

 

どのような出来事や状況でも、とらえ方・物の見方で、次のどの扉を開くかが変わってくるように思います

 

感情をコントロールすることは、出来事や状況によっては、難しい事もあると思いますが、輝かしき未来に向かって、今やるべき事を真剣に考え、懸命にトライしていく事が充実した人生を送れる秘訣のように思います

 

来年も感謝に包まれた良い年になるよう成長していきたいと思います

2011年ありがとうございました