掃除教育(掃育)について

以前、ボランティアで中学校の清掃に行った時、学校教育の中で学生はトイレ掃除などはせず、主事さんという専門の方が清掃をされていると聞きビックリしました

 

学生は、自らが利用するものに対しての『責任と想い』を育成できるのか疑問と不安を感じました

 

私の学生時代は、トイレなどは学生が当然やるものだと思っていました

 

時代だったのでしょうか?地域性だったのでしょうか?私もいやいやながらではありますが、トイレ掃除やっていました

 

現在ハウスクリーニングを仕事として感じることは、退去後の空室時のお掃除をしていて、日本人の恥の文化はどこに行ってしまったのだろうと思います

 

『立つ鳥跡を濁さず』と言いますが、賃貸などで今まで住まいとして貸して頂いていたという『想い』があれば、ギスギスした生き方はしなくていいのに…と思います

 

ふっと考えるに、今、掃除をしない人ばかりでなく、学校教育でも掃除の習得の機会を失い、掃除を出来ない人が増えているように思います

 

中々一般的に嫌な事を、自らの創意工夫で、それもあまり好まない掃除をやりこなす人は、そうそういるものではないと思います

 

やるべき事が目の前にあっても、知らない事・わからない事・出来ない事だと、人はとても億劫に思い、そして、適当な言い訳を探し逃げ回るように思います

 

掃除だけに限らず、何をやるにも私は『想い』どうしてやるのか?どうしたいのか?どうなりたいのか?という、この『想い』が行動のエネルギーとして大切なものだと思います

 

ただ、人生において、文化的生活を行う以上、居住空間はもちろん使用施設等などは、自らの責任において、掃除や清掃は必須であるべきものだと思います

 

いつも思う事ですが、目に見える物を整理整頓・管理出来ていないと、目に見えないまたは、見えていない、人間関係や未来はうまくいかないように思います